帯同報告集

国際親善野球大会(アメリカ) 2002年

吉本陽二(大阪府立看護大学医療技術短期大学部 理学療法学科)

(現・奈良東病院 リハビリテーション科)

2002年8月24日から9月7日の15日間、全日本高校野球チームの国内合宿とアメリカ遠征に帯同させていただきましたので、その概要を報告します。

第84回高等学校野球選手権大会で明徳義塾高校の優勝が決定した後に全日本チームのメンバーが発表されました。今回の遠征では、全米選抜チームエキジビションマッチ1試合を含む全4試合の対戦を行いました。
8月25日に中沢佐伯野球記念会館にて結団式が行われ、役員・選手の全員が初めて顔を合わせました。全日本チームの構成は、役員が私を含め9名、選手は 投手7名、捕手3名、内野手5名、外野手3名でした。今回の遠征に帯同した審判員の方が救命救急士の資格を持たれており、非常に心強く感じました。

国内合宿に入る前より、選抜された選手の甲子園大会中の検診結果やサポート記録を抜粋したり、アレルギーや既往歴の有無などの問診票の作成など、遠征帯 同経験のある理学療法士から助言を受けながら準備をすすめました。国内合宿の主な仕事は、練習前のウォーミングアップと練習後のクールダウンとアイシン グ、疲労度の高い選手を中心としたコンディショニングと練習中の水分補給を促すことでした。その他にも過去の帯同経験者からのアドバイスを活かし、毎日の 体重測定と体調の聴取やうがい薬の配布などにより選手の体調管理にも積極的に関わっていくようにしました。

例年の整形外科診察では、投手の疲労所見が著明であったようですが、今年は、全体的に投手の疲労度は低く、野手と同程度であり、国内合宿中にコンディ ショニングを希望した投手と野手の数は各3名程度でした。コンディショニングを行った投手の1人の選手は、腱板筋トレーニングやストレッチの方法を自分自 身で勉強し、実行していました。しかし一方では、アイシングを否定する書籍などもあります。何故、アイシングが必要なのか、どのようにすれば効果的なのか ということをさらに追求し、アイシングに限らず傷害予防に関する情報を、今後も甲子園という場を通じて選手たちに提供していきたいと思います。
アメリカ遠征中は、選手はホームステイをしていたため、サポートは全てグラウンドでの対応となりました。
サポート内容は、ウォーミングアップ、クーリングダウンと試合後のアイシングを中心に、爪割れの処置やテーピング、デッドボールに対するアイシングなどを 行いました。試合中の審判員への水分補給も甲子園と同様に3、5、7回に高校野球連盟の役員と手分けして行いました。
3連戦ということで投手と捕手からのコンディショニングの要望が多く、試合前や試合中の時間を利用してのコンディショニングを実施しました。コンディ ショニングを行いながら、具体的なストレッチの方法などを指導し、ホストファミリー宅に帰宅後に自分で行うよう徹底し、自己管理の重要性を説明しました。 選手一人一人が、今回の遠征で得た知識や経験したことをもとに、自己管理について考えていってもらえたらと思います。過去の遠征ではデッドボールで医療機関受診したなどの話を聞いていましたが、幸い大きな外傷や体調不良もなく全員揃って最終戦を終えることができました。

今回、アメリカ遠征への帯同を通じて理学療法士として初めて体験することが多くあり非常に勉強になりました。また、様々な立場の役員の方から色々なお話しをお聞きできたことは、本当に人生の財産になったと思います。

このような貴重な機会を与えてくださった日本高等学校野球連盟ならびにスポーツ障害理学療法研究会の皆様に深く感謝申し上げます。

明治神宮高校野球大会 台湾遠征(台湾) 2001年

武岡健次(四條畷学園短期大学 リハビリテーション学科)

(現・武庫川女子大学 健康・スポーツ科学科)

2001年12月20日から29日にかけて、国内合宿、台湾・高雄で開催された大会に全日本高校野球選抜チームのメディカルスタッフとして帯同しましたので報告します。

台湾遠征に帯同することになり、期待と不安のなか、自分は選手たちにどれだけのことができるか考えました。台湾遠征前に豊中渡辺病院での研修(テーピン グ・救急処置を中心に)、ウオーミングアップとクールダウンのプログラムの作成、帯同経験のある先生方からの情報収集、台湾の気候・温度・湿度、宿泊する ホテル・神宮球場や台湾高雄の棒球場についてもインターネットで調べました。
また、12月8日には明治神宮高校野球大会優勝チームである報徳学園高校にあいさつにうかがい、選抜選手のメディカルチェックや問診ができたことはとて も自信につながりました。12月20日国内合宿初日、神宮球場内で投手7名、捕手3名、内野手5名、外野手3名の合計18名を対象にメディカルチェックと 問診、投球時に肩、肘に痛みのある選手にはデジタルビデオ撮影を行いました。翌日よりウオーミングアップとクールダウン、疲労の回復と健康管理、コンディ ショニングの調整し、無事に台湾遠征の出発の日を迎えました。

羽田から台北、乗り継いで高雄まで約5時間、移動に関してはきついものではありませんでした。冬の日本と比べると高雄の気候は温暖で野球をするには最適の環境だと感じました。
今回の遠征は、すべて高雄で行われ、初日のダブルヘッダーを含め5試合を4勝1分けの好成績を残すことができました。そのなかでも、第3戦の高苑工商戦 は、今まで全日本高校野球選抜チームが勝つことがなく、歴史的な1勝をあげた瞬間は、体が震えるほど感動しました。テーピングやコンディショニングを行っ た選手が活躍したのでうれしさも倍増だったと思います。

帯同中の理学療法士の仕事は、選手の健康管理(うがい・手洗い・体重測定)ウオーミングアップとクールダウン、試合前のテーピング、試合中の怪我の処 置、ホテルでのコンディショニングが主な仕事でした。遠征中を通じて、重度なアクシデントがなく過ごすことができましたが、ピッチャーライナーが膝に直撃 した際は、一瞬ヒヤリとしました。しかし球場近くの病院や、搬送方法についても現地の方と確認していましたので、冷静に対処することができました。

初めての遠征で選手との関わり方や、情報収集・準備(下見)の大切さについてたいへん学ぶことが多かった帯同でありました。

最後になりましたが、このようなすばらしい機会を与えてくださった、日本高等学校野球連盟の皆様、本研究会会員の皆様、台湾遠征にあたり御尽力いただいた皆様方に、厚く御礼申し上げます。

第4回 AAA 大会(台湾) 2001年

中江徳彦(豊中渡辺病院 リハビリテーション科)

(現・東豊中渡辺病院 リハビリテーション科)

16〜18歳の国際大会である第4回アジアAAA野球選手権大会が2001年8月30日から9月4日の6日間の日程で、アジア・オセアニア地域の 8カ国が参加し台湾の台北市において開催されました。今回、全日本高校野球選抜チームの台北派遣に帯同しましたので報告いたします。

8月22日、夏の甲子園大会が西東京代表の日大三高の優勝で幕を閉じましたが、それと同時に全日本選抜チームのメンバーが発表されました。今回の派遣メ ンバーは春の甲子園大会後の第一次候補選手も含めた中から選考された18名で、8月24日より高校野球連盟会館で国内合宿に入りました。
今回の合宿・遠征は理学療法士が2名体制となり、当研究会の坂口美隆先生をチーフに前半の1週間を同じく研究会の町田実雄先生が、後半の1週間を坂口先生 と私が帯同しました。国内合宿では連日の猛暑と厳しい練習で少々バテ気味の選手もいたようですが、宿舎でのリ・コンディショニングによる疲労回復やウェイ トコントロールなども含めて体調管理に努めました。整形外科の医師による選手の検診にも同席しましたが、特に大きな故障を持った選手もなく、良好な健康状 態で8月29日の遠征出発を迎えました。

台北は関西国際空港から空路2時間半で、移動に関してはきついものではありませんでしたが、空港に着いたときはかなり蒸し暑く感じました。気候は亜熱帯 でこの時期は雨が多いとは聞いておりましたが、大会期間中は唯一最終日のみ雨が降らなかっただけで、連日の雨によるスケジュールの変更に役員、選手ともに 悩まされました。

今大会は日本、台湾、韓国、豪州の実力上位4カ国によるAグループと、他の4カ国によるBグループに分かれて予選リーグを行い、 Aグループの上位3チームとAグループ4位とBグループ1位との勝者による4チームが決勝トーナメントに進むという方式でありました。
8月30日の大会初日が早速雨で順延となり、たび重なるスケジュール変更や試合中断にも集中力を切らさなかった日本チームは、豪州戦を皮切りに韓国、台 湾に快勝し、予選リーグを1位で準決勝進出を決めました。その後も断続的な雨のため決勝トーナメントの開催が危ぶまれましたが、グランド整備など地元ス タッフの努力により何とか準決勝と決勝は最終日にダブルヘッダーで行われことになりました。
韓国との準決勝は熱戦となり、相手の主戦投手を攻略した日本チームは決勝進出を果たしました。決勝の相手は地元の台湾で球場は応援団で満員となり、太鼓 と笛での激しい応援は改めてアウェーでの試合であることを体感させられました。試合は息詰まる投手戦でありましたが、準決勝の後の僅か30分後の試合で疲 れていた日本は残念ながら負けてしまい、惜しくも準優勝でした。

帯同中の理学療法士の仕事は、飲料水およびスポーツドリンクと氷の準備、ウォーミングアップとクールダウンの指導、試合中の怪我の処置、試合前のテーピング、宿舎でのコンディショニングが主な仕事でした。
ホテルでの食事に飽きて食欲を落とす選手もいましたが、大きな怪我や病気もなく遠征を終えることができたことに改めて役員・スタッフの方々に感謝致しま す。今回の遠征は私自身にとって初めての経験でありましたが、今後の選手との関わり方についてたいへん得ることの多かった帯同でありました。

最後になりましたが、今回の合宿・遠征でたいへんお世話になりました日本高等学校野球連盟の皆様、本研究会会員の皆様に厚く御礼を申し上げます。

国際親善高校野球大会(アメリカ) 2000年

佐藤睦美(大阪大学医学部附属病院 理学療法部)

(現・大阪保健医療大学)

2000年8月21日、第82回高等学校野球選手権大会が智弁和歌山高校の優勝で幕を閉じるのと同時に、全日本選抜チームのアメリカ遠征メンバーが発表されました。
今回はロサンゼルスで全米高校選抜チームと北西太平洋選抜チームの2チームを相手に4試合を9日間で行う予定になっており、最大の特徴は選手が米国到着か ら帰国までずっとホームステイするということでした。練習や試合の後のコンディショニングが遠征での大きな仕事の一つですが、今回の遠征では球場からホー ムステイ宅へ直接帰宅し、翌日球場に集合するという毎日のため、コンディショニングを行う時間がないことが出発前から予測されました。

8月25日に中沢佐伯野球記念会館にて結団式が行われ、監督・コーチ・役員・選手の全員が初めて顔を合わせました。選手はこの後8月29日までの5日間、野球会館に合宿をしてチームとしての練習を行います。
野球会館の中には6畳程度のコンディショニングルームを設置していただき、ホットパックと各種機器も研究会からお借りすることができました。
私は、選手が朝食を食べている頃に出勤して、選手の消灯が終わってから帰宅するという形で合宿に参加させていただきました。出発前に宿舎でテーピングな どの処置を行ってから移動用バスで練習用グラウンドに向かいます。グラウンドでは練習前のウォーミングアップと練習後のクーリングダウンや熱中症予防のた めの飲料水(甲子園大会で使用していたスポーツドリンク)の確保が私の仕事でした。宿舎に戻ってからはコンディショニングです。他の先生にもお手伝いいた だき、毎日2名体制で対応することができました。甲子園大会で勝ち残ってくる選手ばかりですので、大会の疲れもまだ十分に回復してはいません。投手の肩や 野手の腰や足などの除痛や筋の柔軟性の回復が主な内容でした。

8月29日、午前中の練習を終えた後、ロサンゼルスに向かって出発しました。飛行機の上は約12時間。今まで海外遠征に帯同された先生方から「シートに 座っているだけでは絶対に腰痛を起こす」と忠告をいただいていましたので、「ストレッチしよう!」と頻回に声を掛けるのですが、そこはお年頃のせいか恥ず かしがって腰を上げません。仕方がないので、トイレに立った選手に、トイレの前でさせるという強硬手段に出ました。

16時間の時差のため、ロサンゼルスに到着したのは同じ29日の正午前。空港のロビーで選手達はホストファミリーとの対面を果たし、現地の方の歓迎式典 などを終えて、役員はホテル、選手はそれぞれのホストファミリー宅へと別々の所へ向かいました。翌日からの練習はロングビーチにある球場で、内野まで芝の あるとても美しい球場でした。
ウォーミングアップの時の選手の第一声は「涼しい!!」でした。日差しは強いのですが、湿度が低いために「カラっ」としていて、不快感が全くと言っていい ほどありません。今年の日本の記録的な熱さに加え、木陰一つない合宿中の練習グラウンドでのウォーミングアップと比べて、天と地ほどの差であったのは私も 身をもって経験しました。練習中は、グラウンドサイドの芝生に休憩中の選手を寝かせ、ストレッチなどのコンディショニングを行いました。この頃になると投 手は自主的にアイシングを行うようになっていました。

試合も練習と同じ球場で行われ、1日目はダブルヘッダーでした。全米選抜のエースは速球派で、大リーグからのスカウトもあるという選手でした。日本チー ムの選手の一人が彼のボールを頭部に受けるというアクシデントに見舞われ、周りは非常に心配しましたが当の本人はケロッとしており、ホッと胸をなで下ろし ました。試合中は登板予定のない投手のコンディショニングを芝生の上で行ない、時々飲料水の点検にベンチへ行くといった形で過ごすことが多かったです。
2日目は何事もなく過ぎたのですが、3日目、球場へ行くと、初日に頭部にデッドボールを受けた選手が「今朝から調子が悪い。頭がフワフワする。」と言って きました。念のために医療機関を受診させることになり、ホストファミリーの方2名と本人、私の4名で救急外来(ER)へ行きました。TVで見るERとは雰 囲気が違い、初診(看護婦の問診)までに30分ぐらい待ち、専門医の診察を受けるのにさらに1時間、CT検査まで1時間、結果を聞くのに1時間 . . . と日本の病院真っ青の待ち時間で何とか「異常なし」の診断をいただき、球場へ戻りました。
試合そのものは3勝1敗で全米選抜チームとの同率優勝ということになりました。

この遠征に帯同させていただくまでは、男性チームの遠征に女性が帯同するのは難しいのかもしれないと思っていたのですが、私なりの関わり方が見つかった ような気がします。今回の経験を生かして、スポーツ選手に少しでもよいものを提供できるように知識と技術を磨きたいと思っております。
このような貴重な機会を与えてくださった日本高等学校野球連盟ならびにスポーツ傷害理学療法研究会の皆様に深く感謝申し上げます。

日台親善高校野球(台湾)

上野隆司(藍野医療福祉専門学校 理学療法学科)

(現・関西医科専門学校)

20世紀も残すところあとわずかとなった12月22日〜29日の8日間、日台親善高校野球滋賀県高等学校選抜チームの台湾遠征に帯同させていただきました。
遠征前に聞いていた話として、最近の台湾遠征チームはほとんど負け越しているということでしたので、何とか勝ち越したいという気持ちのあった遠征チーム は、これまでに例のないような17日間という国内練習(2度の国内合宿を含む)を実施しました。気温差も含めて出発前は色々と不安もありましたが、練習の 成果でチーム内の結束も強まったためか、帯同した理学療法士の運が良かったためか、5試合行い4勝1敗という好成績を上げることができました。

その中でも最も印象に残っているのが2勝1敗で迎えた第4戦、勝ち越しのかかった大事な試合は息詰まる投手戦、0対1で迎えた9回表2アウト、ランナー 1塁、9番バッター、何とかつないでほしいと皆が見守る中、打球は何とレフトスタンドへ、鳥肌のたった一瞬でした。このときばかりは理学療法士としてでは なく、チームメイトといって良いかわかりませんが、そのような気持ちになりました。

理学療法士しては、遠征を通じて大きなアクシデントもなく、選手の試合前の処置や投手を中心にした試合後のクーリングダウン・リコンディショニングに努め ました。国内練習の時はそれほど処置件数も多くなかったのですが、台湾では連戦が続いたためか、選手が私の役割を理解してくれたためか、延べ件数で試合前 の処置が28件、リコンディショニング11件、救急処置2件ありました。

もう一つ今回の遠征で私自身が意識したこととして、選手の意識を自身のコンディショニングに向けていくことでした。遠征の期間だけでなく、選手生活を送るために何が必要であるか、そういったことが何か1つでも、十分でなくても残ってくれることを望んでいました。
例えば、このストレッチングはこの部位に伸張感が必要で、その肢位を形だけ模倣するだけでは不十分であるといったことを説明しながら実施したりしました。 選手達が行うウォーミングアップのジョギングにさえついていけない「口だけの理学療法士」でしたが、こういったことを選手に意識させていくことも重要な役 割であると考えていました。選手達がどの程度理解してくれたかはわかりませんが、今後の活躍を楽しみにしています。

最後になりましたが、このような貴重な機会を与えていただいた日本高等学校野球連盟、滋賀県高等学校野球連盟ならびにスポーツ傷害理学療法研究会の皆様に深く感謝いたします。

日伯親善高校野球大会(ブラジル) 1997年

小柳磨毅(大阪府立看護大学医療技術短期大学部 理学療法学科)
(現・大阪電気通信大学 医療福祉工学部)

1997年9月1日から9月11日にかけて、ブラジル・サンパウロ市近郊で開催された日伯親善高校野球大会に、全日本高校野球選抜チームの医務役員(トレーナー)として帯同しましたのでその概要を報告します。

夏の甲子園大会の激戦を勝ち抜いた選手は、8月26日から野球連盟会館での国内合宿入りましたが、それぞれかなり疲労していました。内科、整形外科医師 による検診に同席し、選手の健康状態を再確認するとともに、練習後には大会中からのリ・コンディショニングを引き続いて実施しました。選抜選手は投手6 名、捕手3名、内野手6名、外野手3名の計18名であり、疲労の回復と自己管理も含めたコンディションの調整をしながら、あっと言う間に出発の日を迎えま した。

伊丹から成田、ロサンゼルスを経由してサンパウロ空港までの旅程はおよそ24時間であり、覚悟はしていましたが時差ぼけを含め、結構きつい移動でした。 幸い、遠征移動時に頻発する”腰痛症例”もなく、現地では移民90周年を迎えられた日系人の方々の熱烈な歓迎を受けました。

今回の遠征は、すべてダブルヘッダーの6試合を3日連続で行う強行日程でした。戦績はブラジル選抜との最終戦に1敗を喫しましたが、他の5試合は圧勝の内容でした。

帯同中の主な仕事としてウオームアップとクールダウンをはじめ、飲料水と氷の確保、擦過傷の消毒処置、挫傷の救急処置等を実施しました。遠征中を通じて 重度の外傷や疾病がなく、選手は数日、ホームステイで歓待を受けていましたので、私は比較的平穏な日々を過ごすことができました。しかし広大なブラジルで は、国内移動といいましてもバスで14時間連続という日もあり、異国情緒に浸りきることができました。また最終日の宿泊は HOTEL NIKKO となっていましたので、「ホテル日航」と思いこんでいましたところ、実は「ホテル日光」であり、4階建ての建物にエレベーターが無いという説明を聞いた瞬 間に、日本の有り難さが身に滲みました。

繰り返しますが現地のブラジル野球連盟役員をはじめ日系人のみなさんは、われわれ選手と役員に非常に親切に対応していただきました。全員が無事に帰国できましたことに改めて感謝したいと思います。

最後になりましたが、国内合宿でもご協力をいただきました本研究会会員の皆様、ならびに私たちの活動に多大なご理解とご協力をいただいております、日本高等学校野球連盟の皆様に厚く御礼を申し上げます。

明治神宮高校野球大会 台湾遠征(台湾) 1996年

上野隆司(藍野医療福祉専門学校 理学療法学科)

(現・関西医科専門学校)

2勝1敗1分けという好成績をもって中華民国(台湾)遠征は終了しました。この遠征中のエピソードから、私自身が感じたことを報告します。

試合中、1人の選手がデッドボールを受けたときことです。試合の流れ上すぐにアイシングなどの処置ができず、攻守交代のときにできる限りの救急処置をお こないましたが、痛みを強く訴えたため、念のため当地の病院を受診することにしました。患部に骨折があるのかないのか気になっていた私は、中学、高校時代 に身につけた英会話の能力を発揮し、ドクターにたずねました。

「No fracture?」
この英語がドクターに通じ、英語で答え返してくれましたが、全ては私には理解できませんでした。しかし、骨折がないことだけは理解できたため、その後は無理をせず、通訳の方を通して情報を得ることにしました。

この選手はホテルにもどったあともアイシングなどの処置を続け、帰国後1、2週間経過し、大きな問題もなく復帰しました。このことはスポーツの現場にお ける救急処置の大切さを再度実感させられる出来事であり、私自身にとっていい経験となりました。このことを忘れずに今後も現場に携わっていきたいと思いま す。

最後にこの遠征にあたり、いろいろご尽力いただいた皆様方に、改めて御礼申し上げます。

中日親善野球(中国) 1996年

境隆弘(大阪大学医学部附属病院 理学療法部)
(現・大阪保健医療大学)

1996年12月20日〜30日にかけて、高校野球鹿児島県選抜チームの鹿児島県内での国内合宿を含む中国遠征にメディカルスタッフとして帯同しましたので報告いたします。

国内合宿初日のメディカルチェックに始まり、ウォーミングアップ、クーリングダウンはもちろん、朝の体操、試合前・中・後の処置、夜のコンディショニングとこれまでの甲子園大会や日本選抜チームのサポートなどで得た知識と技術をフルに発揮してきたつもりです。
また、環境の変化からか体調を崩した選手も何名かおり、うがい、手洗いの励行、不衛生な食物の排除、体調不良者の隔離・看病と中国に渡ってからは正に24 時間営業で完全燃焼した感があります。その甲斐あってか、自分の力不足も多々あったかとは思いますが、大きな事故やケガも無く、全員無事に帰国できたこと に何よりほっとしています。球児たちも今では体調を取り戻し、夏の甲子園に向かってがんばっていることでしょう。

私たち理学療法士が今回のような海外遠征や春夏の甲子園大会にメディカルスタッフとして高校球児をサポートする目的は、選手自身での健康管理指導はもと より、その個々への指導がチームへ拡がり、さらには県高野連全体への高校球児の健康管理に対する認識を深めることにあります。今回の遠征で個別にトレーニ ング方法やテーピング、ストレッチについての指導を受けた球児は、自分で実践するのはもちろん、チームメートにも十分に生かしてくれていると思います。

また、今回は故障知らずの健康体で、特別な指導をしていない球児もいますが、練習前後のアップ・ダウンや投球後のピッチャーのアイシングなど今回の遠征で野球選手の健康管理について何かを学び取り、チームに帰ってもこの経験を生かしてくれていると思います。

以上、我が身は辛かったですが、充実した(自己満足に過ぎないかも知れませんが)遠征を時折振り返ってみては、夏の甲子園での球児たちとの再会を楽しみにしている私の報告を終わります。

最後になりましたが、お忙しい中、鹿児島での国内合宿をサポートしていただいた熊本機能病院の中山朗先生をはじめ、多大なるご指導、ご支援をいただきましたスポーツ傷害理学療法研究会の皆様に厚く御礼いたします。

第1回AAA選手権大会(オーストラリア) 1994年

小柳磨毅(大阪府立看護大学医療技術短期大学部 理学療法学科)
(現・大阪電気通信大学 医療福祉工学部 理学療法学科)

第1回アジア・ジュニア選手権大会(AAA大会と略、以下同じ)は、アジア・オセアニア地区初の高校野球選手権大会として、1994年12月26日から翌年1月4日までの期間、オーストラリア・ニューサウスウエールズ州のリズモア市で開催されました。

全日本選手は高校2年生を中心に、全国から地方大会での成績等を参考に選抜された18名が選抜されました。チームが結成された1994年12月19日に 整形外科医師と内科医師によるメディカルチェックを実施し、遠征出発までの5日間は和歌山県湯浅町にて国内合宿が行われました。大会は1994年12月 28日から翌年1月4日までの日程で行われ、この間全日本チームはダブルヘッダーを含む計8試合を行いました。
国内合宿は我が国では冬季の比較的練習量の少ない時期であったこともあり、メディカルチェックで指摘のあった柔軟性や筋力の低下等の改善を目的としたコ ンディショニングに十分な時間を割いて実施しました。合宿中は複数の理学療法士が起床時の軽運動から練習の前後、寄宿後にかけてチーム全体ならびに選手個 別のウォーミングアップとクーリングダウンを行いました。

遠征には医務役員として理学療法士1名が種々の機材を携行して帯同しました。大会中、全日本チームの宿舎となったサザンクロス大学リッチモンドビラの一室にコンディショニングルームを設置しました。

南半球のオーストラリアは真夏の時期であり、日中の気温は40℃を越える猛暑でした。急激な環境変化に対し、選手の頻繁な水分補給、睡眠・休息時間の確保、バランスのとれた食事の摂取の指導を行いました。

大会期間中の最も重篤な外傷は、大会2日目の対中華台北戦で内野手がデッドボールにより受傷した右尺骨骨折でした。救急処置を行って近隣の医療機関に搬 送、現地のスポーツ医の適切な処置により、帰国3カ月後の選抜高校野球大会には出場して活躍しました。この他、ほぼ休みなく連日試合が続いたため、投手は 肩周囲、野手では下肢の筋疲労や痛みを多くの選手が訴えていました。

遠征中のコンディショニングはコンディショニングルームと球場で実施しました。メ ディカルチェックで多数の選手が指摘された肩の腱板機能の低下に対しては、ゴムチューブによる軽負荷のトレーニングを国内合宿より引き続いて実施し、練習 後のアイシングは投手、野手を問わず選手全員に義務づけました。徒手や機器によるコンディショニングにより、骨折例をのぞく全員が大会終了まで出場しまし た。遠征期間中、マッサージやストレッチング等の徒手療法、テーピング、超音波をはじめとする物理療法を含めて70件以上の実施件数がありました。外傷例 を除きメディカルチェク時の症状が増悪したり、競技が困難となった選手はなく、これらのコンディショニングは有効であったと考えられます。

全日本チームは、大会最終日の決勝戦で開催国のオーストラリアを下して優勝しました。